■ウィルス襲来
日に日に酷くなるんだけど。迷惑だ。ワクチンソフト入れてスクリーニングしてよ。
■ありえなーい!
> 途中のバトーの家では犬を殺しそうに見えて非常にハラハラしましたが
http://www.angel.ne.jp/~hidden/diary/200404_a.html#01_t4

押井映画でそれは在り得ないだろう。しかもバセットだし。(by ちょっと嫌な観客)

幸せな人って、トグサ一家がそんな雰囲気じゃないですか。

コピペ乱用にしても、動く人形とアニメーションの類似にしても、承知(というか、先に告白している)で作っていたりする(「創作ノート」)。
スクリーンのバトーにゴーストを感じるというのは、SAC1st#3「ささやかな反乱」を連想する。自分も同じような感想を持ったのですけどね。
http://freiheitstrom.ath.cx/~saitou/DIARY/XDATE_030201.html
ただ、映画のバトーは常に同じ反応しか示さない。そういう点ではプログラムと同じですね(そういう意味ではそもそも「反応」ですらない)。そこでゴーストが無いと気付く。
 ゴースト・ダビングはイーガンが『移送夢』で理屈を説明しています。その現象がなんであるかを理解できていないとしても、それが物理的基盤に乗っているのであれば、その物理的状態をコピーすればいいわけです。(ざっくりすぎな説明) でも、押井がそういう理屈を考えているかといえば、たぶん違って、お菊人形とか憑依とか、そういうオカルトめいたものを置き換えただけなんだと思います。なんでも本当に人形が怖いそうですから(「創作ノート」)。
 ラストは皮肉が効いていて良かったですね。検死官の言葉がここで生きてくるわけで。ただ、映画のラストはバトーのフィックスのコマが長いよ、みたいなのは思いました。
 でも一番の皮肉は、肝心の草薙が当人であるという保証が全くないって点だと思います。田中敦子が声をあててれば全部草薙かといえば違うわけで、あの検死官が実は南雲隊長かといえば、もちろん違うわけです(by ちょっとイタイ観客)。でも、バトーにとってはその存在が草薙を思わせればそれで十分だったわけで。そして、そういう見方がそのまま観客である自分に返ってくるというのも面白かったです。

■去りにし日々、今ひとたびの音(Other Days, Other Ears)
http://diary.nttdata.co.jp/diary2004/04/20040401.html