やっぱり人は観られているという状態に耐えられない

そういうことなんだな、と。ストリートビューがさんざん言われているのはやはり、「お前は見られている」というメッセージを突きつけているからに他ならない。
自宅周辺を私的空間としたとして、その空間はどこまで広がるのだろう。その私的空間は当然他人の私的空間と重量していくことになる。その重量した他人の私的空間における行動も制限しようとするのだろうか。それはつまり公的空間が失われているということではないのか。逆か? 他人の私権と重量しているからこそ公的空間なのか? (勉強すればすぐ解ることなのだろうとは思う) そこでどこまで他人の私権を制限できるのだろう。耳と目を閉じ口をつぐんで孤独に暮らせ、とそういうことを要求されているのだろうか。
しかし、この社会的な視線恐怖症って何なんだろう。見知らぬ他人からの視線だから怖いのだろうか。
それにしても、ストリートビューの画像を出してもそれが匿名の誰かの家であることは解るのだけど、特定の誰かの家なのかということは解らない。自分で言わなきゃ解らない。コメントの中で、池田氏の自宅写真を出していないことを揶揄しているものがあるけれど、「これが自宅です」とストリートビューの画像出されたらそれを信じるのか? それはそれで牧歌的な光景だという気もする。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/17d245d42e0ce0474c3dfaee5cdbb580
ところで個人の文書データベースであるハテナはそのつもりになれば個人の思想傾向分析なんてこともできるんだけど、プライバシーだのなんだの言うわりには、平気で利用できるものなんですね。「個人情報」の捉え方が違うのかな。