スカイ・クロラ 2回目

昨日は109シネマズMM21で、今日は109シネマズ名古屋で。両方ともロビーに入るなりキャラメルポップコーンの匂いでいっぱいで、都市開発地域に建っていて、まあ名古屋の方が不便ですが。
昨日1回見ているので、2回目は安心して観ることができました。正直、昨日は不安だったのです。で、昨日観た時、いくつかのカットで感じたことは誤認だったらしいことを確認。背景は手書きとレンダリングが混在しており、その中で昨日は1カットだけフラットな塗りになっているものがあったように思ったのですが、そういうのはありませんでした。キャノピの歪みもコクピット内部の映りこみで誤認したっぽいし。でもやっぱり、カンナミとミズキとバセットが小躍りするように奥の方へ歩くカットとか、クサナギがボーリングのボールを構えて奥へ進むカットとか、もう大変そうで。そういえばクサナギが大泣きするカットでは、彼女が目をつぶると途端に目がちっちゃくなってしまって、まるきり別人みたいに見えてしまうんですね。ここも大変だったろうなあとか。
観ていて困ったのは、カンナミ達は自らを指して子供だ子供だと言うんですが、自分にはそういう風に見えないことでしょうか。カンナミとフーコがベッドの上にいるシーンがありますが、なんていうかモードの違うキャラクタデザインが混在しているように見えてしまう。唯一子供っぽく見えたのはミツヤくらい。さすがにミズキは子供として見えましたが。
たぶん、自分が「スカイ・クロラ」という原作を含めた一連の作品に感じている違和感の根底にあるものだと思うんですが、「子供」とは何か、という捉え方が作品と自分とで一致していない。単に肉体的にエイジングしていない状態をさして「子供」と呼ぶのか、というとそうではないわけで。原作は一人称だったので、子供らしさ満載のメンタリティはうんざりするくらいに解ったのですが、三人称視点ではそのあたりはマイルドになり、というか、むしろ賢しさが際立って、「自称子供」のように見えてしまう。永遠の幼年期を終わらせる者として「ティーチャ」の存在があるわけですが、あえて、もし今の子供にとって不幸があるのだとしたら、今は「ティーチャ」のような具体的な存在がいないことではないかと思います。どちらかといえば『キャッチ=22』的なものに取り込まれていることではないかと。
2回見て、2回ともクサナギが司令部に苦情のTELを入れるシーンやラストでミツヤが感情を堪えて肩に置かれたトキノの手を払うシーンとか印象に残りました。
そういや、エンドロール後に1シークエンス入るんですが、名古屋ではロールが流れている時に帰ってしまう人がいました。横浜ではみなかったなあ。