「競争原理」は決して効率の良いものではない

競争原理の中心にあるのは「試行錯誤の連続」だ。バリエーションを数多く展開し、その中でたまたまその時々の現実環境に適応できたパターンが「伸びる」。しかし、それが次のインターバルにも有効であるという保証はない。現実環境は常に変動しているから。
常に変動する現実環境によって評価される、というのがミソで、展開されたバリエーションの幅が広ければ広いほど、その時々の現実環境にハマっているパターンが存在する確率は高くなる。そういう意味で、競争原理の下ではある瞬間を切り取ってみれば常に膨大な無駄なパターンを抱えている。しかし、それは無駄に見えるだけで、次の瞬間にはその無駄なパターンの中にスマッシュヒットが存在することが期待できる。
「競争原理を導入する」ことを標榜して制度的に評価基準を導入するということは、実際には評価環境を固定化することを意味し、結果として競争原理は働かなくなる。そうした競争体制の下で「革新」は決して生まれない。評価基準がいわゆる知識フレームとしてふるまうことになるからだ。かと言って、その時その時の現実に対応して評価基準を変動させてしまうと、制度として信用されなくなってしまう。
本当に競争原理を導入したいのであれば、数多くのトライアンドエラーを許容することだが、考えるまでもなく制度的にそれは非効率なものとして映るだろう。