知覚する手段が認識される世界にバイアスをかける

■実は先日、会社関係の知人達とつるんでラリーをやった。ラリーってもWRCみたいにダートなカーブを横滑りしながらクリアしていくみたいな、あるいはパリダカのようにいつ果てるともしれぬ砂丘の連続を走り抜けていくような、ああいう激しいものではなく、指定されたポイントを次々とクリアしていくだけでのおとなしいもの。走行時間ではなく、走行距離を競うタイプ。

 チェックポイント通過確認を携帯電話のカメラによる撮影で行い、次のポイントへの指示は携帯メールで行う。ここで指示を事細かにしてしまうと面白くないので、判じもの半分という地図に仕立てた。例えばこんな感じ。


[高月町]
(北:右斜め上)
b
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a------|-
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#### |
-#B##-+-
#### |
A |
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c------+-
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a:川
b:R16
c:R411

A:城跡
B:運動場

目標:Aの写真を撮れ

 自分も原付スクーターであちこち走り回るようになって2年が経とうとしているのだけど、スクーターで困るのは地図を広げながら走ることができない点だ。ナビシステムもないし。

特に困るのは自分の現在地点が解らないこと。でも、走り回るうちに現在地点をアバウトに把握するコツが解ってきた。

 ロードマップを広げてみると、大地(ちょっと大きくでてみました)は幾つもの境界線で区切られている。行政区画というのもあるけれど、それではなく、国道、県道、鉄道、川、といった線。それらの線は互いに交差し、結果として、地図は幾つもの領域に区切られている。

 コツ、というのは、その境界線を把握していれば、自分がどの領域の中にいるのかがわかる。つまり、自分自身の軌跡(単に文字通りの意)がどの線と交差したかを把握できれば、だいたい自分の位置は掴めることになる。

 今回のラリーマップはそのことを利用している。目的地を取り囲む境界線を定義し、その中にある地図上で目立つランドマークをチェックポイントに指定した。

 ドライバーは設定された境界線をロードマップ上にマッピングする。その操作は(上の地図を見ればわかるとおり)トポロジー的なもので、手がかりは境界線同士の交点関係だけとなる。

 実際のところ、道に迷ってどうしようもなくなるという事態は避けられたのだけど、「指定されたコースを辿って目的地に達する」という形式に慣れていた人には戸惑いが大きかったようだ。今回使用した地図は、ルートを指定するためのものではなく、あくまでも位置を絞り込むためのもので、当然ながら、各境界線の位置関係を把握しているほど有利になる。

 意外だったのは、この地図を苦手としたのは、普段ナビゲーション・システムに親しんでいる方だった。ナビシステムを使っているなら、地図を当たり前のように観ているだろうにと思うのだけど。むしろ、ナビを使わない方が有利だったようだ。

 これは、ナビゲーションシステムのマップを見る場合の認識に原因があるように思う。

 ロードマップを使ってナビゲーションする場合、ナビゲーターはロードマップのどこに自分が位置しているかを常に把握していなければならない。そして、目的地に向かうためには、道路の位置関係を把握していなければならない。

 対して、ナビゲーション・システムを使う場合は、言うまでもなく、道路の位置関係を知る必要はない。次の分岐点でどちらに曲がるかだけを意識していればいい。

 要するに、ナビゲーション・システムが見せる世界というのは、ルートガイドの世界なわけで、リニアな視線だ。方角すら問題にはならない。電車に乗っているようなものだ。そのため、2次元的な平面把握(と言うのか)能力が鈍くなってしまう。

 そしてたぶん、心の中にある地図の姿も、ナビゲーションシステムに依存する人としない人とでは、かなり異なっているのだろう。

 ま、その方が問題設定のしがいがあるというものなのですけどね。