MADなビデオとトレイラーフィルム

異なるパッケージの要素要素を抜き出して合成しているのだから無茶なところがあるのだけど、商業作品でも例えばPVとか、映画のトレイラーフィルムは音楽に映像を合わせるような形で編集して再パッケージされている。音楽に映像を合わせるのか、映像に音楽を合わせるのか、はともかくとして、映像の方は元パッケージとして持っていたストーリー性を失っても構わないので作りやすい。それは観る側が持つ、PVやトレイラーフィルムはこういうものだ、というスキームを利用できるからだ。作り手の中にあるのは素材作品へのオマージュやリスペクトよりも、そうしたスキームへのオマージュだったりするのかもしれない。同じ映像でも被せるBGMを変えることで印象が変わってしまうのは、やっぱりモンタージュ論みたいな中で語られてしまったりするのかしらん。
どれもエースコンバット
http://jp.youtube.com/watch?v=vDY__89EyXI
http://jp.youtube.com/watch?v=epqcG5X3sY0
http://jp.youtube.com/watch?v=IKgOAdnZ7Aw
これはオリジナル音声を入れ替えることで架空のPVやトレイラーに仕立てた格好になっているのだけど、技術的にはもちろん逆も可能で、その場合はある作品の「見立て」が発生することになる。ただそれが面白いか、っていうと、見立てに使った作品を自分の中にスキームとして持っているかどうかによると思う。
http://jp.youtube.com/watch?v=Py5vuZJRlzM